書家と書道家の違い|女性書家が具体的に解説
書家と書道家。
最近、この2つの言葉の意味について聞かれることが多くなりました。
どちらが正しいのか?ということも含めて、書家 椿 紫(つばき ゆかり)が解説していきます。
書道家ではなく、書家が正式名称
結論からお伝えすると、正式名称は、書道家ではなく書家です。
書家とは
書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。
<引用元:Wikipedia>
広辞苑では、
しょ‐か【書家】 文字をたくみにかく人。能書の人。特に、書道の専門家。また、書道を教授し、それを業とする人。書工。
goo辞書では、
しょ‐か【書家】
・文字を書くのが巧みな人。能書家。
・書道の専門家。書道家。
この説明と解説でわかるように、『書家』とは、書における高度な技術教養を持った専門家であり、書を業としている人を指します。
書道家とは
古典作品に根ざした書を用い、いわゆる書壇や書流に属すものを書家というのに対し、書道を用いたパフォーマンス等の活動を専らにする者を書道家と呼ぶ。書家は書、すなわち古典に根ざした内面的な美意識を要諦とするのに対して、書道家は書道、すなわち西洋的な芸術の解釈から広範な活動が許されることを以て行うものである。書は、文字性、構造性、言語性が必須要素であり、あくまで文字としての要素を残すことにあるため、誤字や形の間違い、歴史的な仮名遣いなどの誤りに厳しいため、研究が非常に重視され、老いるほどにその練達が磨かれる老成芸術とも呼ばれる。しかし書道においては、西洋芸術の許容度の広い解釈によって、これらの書の必須要素をほぼ無視してよいという解釈がされ、手軽に楽しめる利点がある。古くから独立系、前衛系の書家を中心に大字書、一字書と呼ばれるジャンルなどで現在のパフォーマンスに近いものは行われていたが、近年のインターネットの発達により活動の環境が整えられ、書道家は増加の傾向にある。
<引用元:Wikipedia>
Wikipediaにはこのように掲載されていますが、実は、『書道家』という言葉は、広辞苑には記載されていません。
つまり、正式名称は『書家』なのです。
広辞苑は2017年に10年ぶりの改訂があった
広辞苑は、実は2017年に10年ぶりの改訂がありました。
にも関わらず、『書道家』が記載されていないのは、当時『書道家』という言葉がなかったから。
『書道家』という名称は、この5年間で生まれた言葉なのです。
書道家・書家、両方掲載している人が多い理由
『書家』が正式名称であることは、はっきりしましたが、ほとんどの書家が両方を明記しています。なぜ、書道家も明記しているのでしょうか。
それは、書道家も現在かなり多くWeb検索されているからです。
正式名称である『書家』が641,000,000件、『書道家』も13,800,000件のURLがヒットしたというデータです。
それだけ、『書道家』という言葉も、違和感なく浸透してきていることが言えます。
書道の転換期|時代と共に、言葉も変わる
言葉は面白いものです。
時代に合わせて、新たな言葉を私たち人間は創り出しています。
みなさんも、『習字』と『書道』という言葉の使い分けについて、迷ったことはないでしょうか。
習字と書道の違い
習字とは
しゅう‐じ【習字】
①文字の書き方を習うこと。てならい。
②小学校・中学校における国語科の一分野または一分科。古くは独立の教科とされた。書き方。書写。
書写(しょしゃ)とは、文字を書き取ること。学校教育における教科や単元の呼称としても用いられる。
<引用元:Wikipedia>
では、書道についても見てみましょう。
しょ‐どう【書道】
毛筆を用いて文字を巧みに書く術。中国で後漢の時代、紙の発明と筆の改良で盛んとなり、魏・晋の頃、王羲之・王献之父子によって発達。日本に伝来して、平安時代に草仮名を創作し、和様として世尊寺流・法性寺流・定家流・青蓮院流などの流派を生じた。
書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、朝鮮語圏ではハングル、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。
<引用元:Wikipedia>
それぞれの意味から分かるように、「習うこと」を意味しているのが習字、「伝統的な技術を磨くための修行を積む行いを含むもの」が書道、のイメージかなと判断します。
日本文化の「道」とは何か
ここで気になるのは、『道』という言葉ですよね。
茶道・華道・書道・武道。この『道』という文字には、私たち日本文化にとって、大きな影響力があると想定します。
「道(どう)』には、伝統的な技術を磨くための修行を積む行いを含むもの。つまり、技術を磨き続けるそのプロセスを含んでいます。
道の共通点|「型」があること
この「道(どう)」には、全て同じ共通点があります。
それは、『型』です。茶道・華道・武道全てにおいて、その技術を習得するための手順やルールといった『型』が存在しています。
流派など、伝統継承されてきたものは特に、代々伝わるお作法が決まっている場合がほとんどです。
書道家ではなく書家が正式名称である理由
では、何故「書家」が正式名称で、『書道家』ではなかったのでしょうか?
華道家・茶道家・武道家、という言葉も、実はない
実は、広辞苑(2017年改訂版)でも、華道家・茶道家・武道家という言葉もありません。つまり、本来は「道」と個人を結びつける言葉が、元々日本にはなかったことになります。
書家という言葉が存在し続けてきた意味
それなのに、「書家」という言葉は、何故古くから存在し続けてきたのか。
それだけ、私たち日本人は、書(文字・言葉)と個人の結びつきに対して、価値を見出していたのではないでしょうか。
今まで以上に、「誰が書いた文字であるか」に対する重みが違ったのです。
弥生時代に中国から漢字が伝承され、飛鳥・奈良時代には、仏教伝来とともに写経が日本に入ってきました。
奈良時代には、日本特有の仮名文字(かな文字)が生まれ、平安時代の初め、美しい文字を書く能筆家として、嵯峨天皇・空海・橘逸勢の3人の名が残されています。
「道(どう)」とは分けて、既に平安時代から、書は芸術として認識されていたのでした。
言葉は、私たちと共に在る【まとめ】
デジタルに触れることが日常になった今、文字を書くことがかなり減っています。
でも、メールやLINEで言葉をもらうより、便箋を選び、上手下手関係なく、「あなたがその人のために時間を作り、綴る言葉と文字」には、価値があると筆者は想います。
私が生み出す芸術も同じです。
たった1人の人のために、時間を作り、綴る言葉と文字をお届けしています。
時代と共に、言葉は変化し続けます。
人々が「書道家」という言葉を生み出したのは、デジタル化した生活の中で、書の技術を磨き続けた経緯(プロセス)に対しても評価を示した証(あかし)ではないでしょうか。
時代と共に、文字や言葉と向き合うことは楽しいものです。
この私が創り出す美しさによる喜びを、もっともっとたくさんの人に知ってほしいので、私は書家として、活動を続けていきます。