最近数年でよく思う事があります。
ITやAIの普及と拡大と共に、私達の本能的機能は大丈夫なのだろうか、と。
前職Appleでその素晴らしさはとても体感しています。
それによって私達は「できる事が拡大」し便利にはなるものの、
「本能的な何かが衰退」していくのではないかと思ってしまうのです。
ある山に登った時の話です。
下山時、途中の山小屋(というか休憩所のお茶屋さん)でお茶を頂いていました。
「あ、これは15分後に雨が降るね。」
お店の方々が空を見ながらそんな話をしていて、
面に並べてあった看板や商品を片付け始めました。
私も空を見ましたが、全くわからず。
雲は遠くにいるように見えます。
お茶を飲み終わりいざ下山!
ゆっくり歩き始めて暫くすると、嘘でしょ!?と思う程の大雨。。。
時計を見るとお店の方々が仰っていた通り、15分後でした。
風の匂い
空の色
雲の様子
たくさんの情報が溢れていても、
それを察知する能力はその時私にはありませんでした。
天気=天気Appで確認する
そんな生き方になっていたからです。
五感や六感
過去の人々は磨き上げ研ぎ澄まし生きていたと思います。
100%その状態に、という原始的なことを言いたいわけではなくて
ITやAIなどが普及していく今後
それに頼りすぎずにバランスをとる事が大切なのではないかな、と思います。
私がArtを続けていきたい理由が多分ここにあるんだと思います。
一番身近に五感や六感を刺激する事ができる。
「美しい」を言葉ではなくて感性で捉える。
そんな表現と活動が世界で出来たら良いな、と思うのです。
※作品:雨 Rain